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踊る1401便

星間旅行は今日も続く

電車で起きた、ハートウォーミングなエピソード

日常

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電車の中では様々なドラマが生まれています。

 

それは「複数の人間」が狭い空間で時間を共有することから発生するのです。

 

出来事は良くも悪くも捉え方次第。

今日は心が温かくなったエピソードをご紹介いたします。

 

 

その日は、午後出社でした。

 

いつもは通勤ラッシュにより、立つことも困難な路線。

しかし時間帯のためか車内には10名程しかおらず、ゆったり座ることができました。

 

わたしは車内で読書をする習慣があります。

その時も例に漏れず、少し俯き、新しく購入した本を読んでいました。

空いている車内は音も少なく、とても集中できるものです。

 

 

次が目的駅。

電車が最後の区間を出発した頃、わたしの右手方向から泣き声がありました。

新生児のような細い声。

 

わたしも2人の子の親。

経験から、何となく赤ちゃんの感情を察することができます。

 

それは儚く、悲しげな泣き声でした。

 

 

わたしは俯いていましたが、周囲の視線が泣き声の方に向いているのは分かりました。

子育ての経験上、子供が泣いている時に見られるのは、親として窮屈な思いがあります。

 

そのため、わたしは車内で子供が泣いている時は絶対に見ません。

その代わり「気にしなくて良いよ」と気持ちを送っています。

 

 

車内では細い泣き声がしばらく響いていました。

周囲の視線も変わらず向いています。

わたしにも泣き声は耳に入ってきていましたが、気にしない様に読書を続けていました。

 

そして

「次は○○~。 ○○に到着します」

 

車内では目的駅に到着するアナウンスが流れました。

読んでいた本を閉じ、下車準備のために立ち上がった時、気が付いたのです。

 

車内に、赤ちゃんがいない。

ベビーカーすらありませんでした。

 

泣き声の方向にいたのは女子高生だけ。

つまり親と、呼べる人はいなかったのです。

 

泣き声が聞こえていたのは遠くない場所。間違いなく同じ車内。

 

わたしは車内の中央付近に座っていたので、ドアから移動したとなれば音で気が付きます。

誰かが移動するような音はしていませんでした。

 

赤ちゃんの泣き声は1駅区間に渡り聞こえており、周囲の視線も向けられていたのです。

 

では、一体彼らは何を見ていたのでしょうか。

注がれた視線の先には何があったのでしょうか。

 

彼らは一体何を「共有」していたのでしょうか。

 

当然、既に周囲の視線は「泣き声」があった方には向いていません。

まるで、何事も無かったかの様に。

 

 

しかし、ふと我に返り思いました。

 

そうか、泣いている赤ちゃんはいなかったのか。

悲しい思いをしている子はいなかったのか。

 

よかったよかった。 

 

 

そう思えた途端、心が温かくなったのです。