踊る1401便

星間旅行は今日も続く

友と語る。

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先日、当ブログの読者でもある知人と話しをした。

そこには、相容れない「価値観」の相違があった。

 

今日は知人との会話を元に、わたしなりの考えをまとめたい。

 

 

一体何を、どの様に信じるのか

彼はしきりに「会社の不満」を漏らしていた。

仕事に行きたく無い。とも。

 

なら行かなければ良い。が、わたしの答えだ。

何を一体そんなに無理をする必要があるのか。

 

しかし「そんな訳にはいかない」と彼は言う。

 

彼は、会社に行くことが社会人としての「普通」だと考えていた。

(わたしには何をもって「普通」とするのかがピンと来ないが)

 

仮にそれが「普通」であり「しなくてはならないもの」だとする。

ならば「不満を解消する努力」や「会社の価値を見出す努力」はしているのだろうか。

 

彼は「会社に対してそんなことはしない」と断言した。

しかし、会社には行かないといけない。それが辛いと。

 

彼は「一つの思い込み」を頑なに握っていた。

 

行きたくない会社に行かないと生きていけない。生活が出来ない。

それが絶対だと信じていた。

 

逆に一つの考えに縛られ、しがみつく覚悟はある。

 

ならば「手放す覚悟」も併せ持てば良い。

思わぬタイミングで掴まる所が無くなったら、それこそ悲惨だ。

悲惨(リスク)回避も社会人としての務めだろう。

 

なので「もっと自由に考えたらどうか」と提案をした。

彼には「握った思い込み」を手放す、自由な発想が必要だった。

 

仕事は「会社に行くこと」だけではない。

自分で企業したり、副収入から発展させる方法もある。

 

「精神が会社に依存している」環境を変えない限り「自身で作った固定概念」に縛られたままだ。

それではいつまで経っても好転しない。

古い、同じ考えの人間である限り、状況が変わる訳がない。

 

しかし、彼はその「自由」に対して「絶対に無理だ」と拒絶する。

 

そして、その矛先はわたしにも向かってきた。

「お前もいつか絶対に失敗する」と。

 

果たして「自分には絶対に無理だ」という自信はどこから来るのか。

そして何故それが他人にも当てはまると思うのか。

 

いずれにしてもパワフルであり、大した自信だ。

 

しかし、そのパワフルさは傲慢な形で現れている。

そこまで自信があるのなら、それを自分に向ければ良い。

 

「絶対に無理だ」と信じる要領で、「絶対に出来る」と信じる。

 

人間は本来もっと自由であり、自身が信じた方にしか進むことは出来ないのだ。

 

 

「仕事」を自由に考える

「会社を辞めなさい」という話しではない。
「もっと自由に考えたらどうか」という提案だ。

 

会社や組織に属することが「仕事をする唯一の手段」だと考える人がいる。
逆にブロガー、特にブログを通じ収入を得ようとしている方は、その価値観から少し距離を置いているのだろう。

 

本来、仕事は面白い。

他人に価値を与え、役に立ち、その価値に見合った報酬を得る。

 

それはお金かもしれないし、感謝の気持ちや言葉かもしれない。
報酬は一様ではない。

 

また、自由になればなるほど、自身の価値が高まり、人が集まる。

人は「価値あるもの」が好きだ。

そして、その価値の上に新たな仕事が成り立つ。

 

会社は社長が立上げたものであり、あなたの価値の上に立ってはいない。

「会社に属していないと生きられない」は「他人の価値でないと生きられない」と言っているも同様だ。

 

他人の価値観に自分を委ねる。これは自分の価値を預けているも同じ。 

 

自分本来の価値が留守であれば、周りがその人に価値を感じることは無い。

真っ先にするべきは、自分の価値を取り戻すことだ。


つまり、会社に属しても、自身の価値まで属させてはいけない。

自身の価値は、自身の内に置くのが良い。

 

また、心から賛同できる会社でない限り、不満が出るのは当然と言える。

自身の価値とズレているからだ。

 

ここまでで「何故仕事(会社)が面白くないのか」は明白だと思う。

それは他人の価値観の元「本当に自分がやりたいことではない」からの一言に尽きる。

 

そして、その状況は自分が生み出している。

思い込みを、 頑なに握っている。

 

やりたく無い事を精一杯やらないと生きていけない。

やりたくないことを精一杯やった結果、報酬を得られる。

 

報酬の量が多いからこそ、人生が豊かになるのだと。

 

果たしてそうだろうか。

 

 

本当の豊かさ

彼は「お金」の有無を豊かさの基準としていた。

確かにそれも一理あるだろう。

 

ただ、全てではない。

 

「お金自体」には価値など無い。

あれは概念の一種である。

 

しかし、彼はお金が、収入が自分の価値だと信じて疑わなかった。

 

お金の様に有限な物に対して価値の重きを置くと際限が無くなる。

欲深さが露呈し、「欲しい」が止められなくなってしまう。

 

わたしには裕福な暮らしをしている知人がいるが「いつか資産が無くなるかもしれない」、「皆が自分を騙しているかもしれない」と決して「精神的な裕福さ」はない。

自然災害にも四六時中怯えている。

 

それは幸福、ひいては「豊か」なのだろうか。

 

そもそも価値が無いお金の量が、自分の価値と信じている。

結果、それは自分の価値を下げている事になる。

 

お金は一つの概念であり、必要以上に求めても仕方がない。

逆に必要性のある人間、もしくはその価値がある人間の元に相応の量で勝手に来る。

 

自分で自分の価値を下げる様な人間の元には、それ相応の量しか来ない。

 

人間はお金で作れない。

人間は誰もが尊く、お金以上の価値があるのだ。

 

綺麗事に聞こえるかもしれないが、わたしはそう確信している。

自分より価値の低い物を、自分の価値に置き換える必要は無いだろう。

 

また「物質では心の渇きを潤すことは出来ない」と有史以来繰り返し言われてきた。

物質は心の外にあり、内には無いからだ。

 

そのため何かを手に入れても、次から次へと止めどない状況に陥る。

これが続くと、心が満たされず疲弊してしまう。

 

本当の豊かさとは「既に心は満たされている」と気が付くことなのだ。

 

それは「既に全ては上手くいっていた」と理解する時でもあり、本当の引寄せ効果がスタートするタイミングでもある。

 

 

引寄せの法則について

引き寄せの法則」は行動心理学だと言う人がいた。

科学的ではないと。


「その人にとって」はそうなのだろう。

 

だが、わたしには体験談も多数あるし、効果も実感している。
それが「わたしにとって」だ。

 

科学的に認められ始めていることからも、自信を持てる。

スピリチュアルやオカルトの類と同等に語る方がいるが、これはメカニズムであり、物理現象なのだ。

 

状況は数年前から様変わりしている。

いつまでも自分の古い価値観や常識観に閉じこもってはいけない。

 

 

しかし、これですら押し付けるつもりはない。

よもや押し付けた所でわたしには何のメリットもない。

 

共感を得られれば、仲間が増えるという嬉しいメリットはあるが。

 

人生は、自身が信じた様に、自身が定義した様になる。

それに伴った環境や人や出来事が引き寄ってくる。

 

このメカニズムが理解できると驚くことが頻発する。

嘘の様な出来事は、簡単に引き起こる。

 

体験が起きないから信じられないと言う人がいた。

なるほど、それは分かる。

 

しかし、本質は「信じるから体験が起こる」のだ。

 

まずは、自身をもっと信じることから初めれば良い。

 

 

 

わたしは決して短絡的なポジティブ主義者ではない。

また、自分の考えを共有したいとは思うが同調は求めない。

 

それぞれの主義主張があって然るべきだからだ。

 

その主義主張にしても、押し付けはしない。

また、逆に押し付けられるのも断る。

 

本当に相手を尊重するには、「相手の全てを無償で認める覚悟」が伴う。

むず痒く、心に痛みが走る時もあるが、それですら自己成長の一環なのだ。

 

本記事のきっかけとなった彼とは、数時間に及ぶ話から少し理解があったようだ。

始まりの時と比べ、目の動き、姿勢、声のトーンなどが変わり、何かに気が付いた様子であった。

 

そして、記事に起こすことを快く了承してくれた。

またブログを通じ、彼と同じ様に「変われない自分」に悩んでいる人を励ましてほしいとの言葉もくれた。

 

大変にありがたいことだ。

 

彼の寛大さに感謝の気持ちを述べ、今回は終えたい。