踊る1401便

星間旅行は今日も続く

知識を活かすない

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私は仕事柄、外出する事が多い。

取引業者との面会や、新たな企画を探しに街へ散策に出る。
営業とは少々異なるため、散策をする街に規制は無く自由度が高いのも気に入っている点だ。
 
散策中に各所のトイレットを拝借することがあり、街中のトイレット探訪にも余念が無い。
いざという時、心穏やかでありたいからだ。
自身のタイムリミットとトイレット所在地図が頭に入っていれば逆算を基にした対策が取れる。
焦りはタイムリミットの短縮になるし、何よりも危険な橋に違いない。

 

私の経験上、トイレットには人格同様に様々なタイプがある。
綺麗に清掃がされているもの。香ばしい臭いで自己主張を行うもの。ペット(主に昆虫である事が多い)を飼育しているもの。
また和風、洋風、野風とバラエティも富んでおり幅が広い。
だがタイプの幅が広いということは良くも悪くも作用する。
恐らく、世の中にはあなたに合わないタイプのトイレットもあるだろう。
 
私はというと、過去「トイレットには女神がいるんやで」と聞いたので見た目だけでは絶対に判断をしない。どんな様相であろうとトイレットの女神は皆の役に立ちたいと考えている。
見た目だけで女性を判断するなど、紳士の名折れ。全てのトイレットを受け容れる所存だ。
 
人間、生きていれば生理現象が思わぬタイミングで発動し、絶望感に苛まれる経験は一度や二度では無いだろう。自分の体ですら自由にコントロールが出来ないのかと不条理さを嘆くものだ。
しかし、その不条理が自身の体の内部構造であれば諦めが付くが、外部からの影響であった場合はどうだろう。あなたはそれを許容できるだろうか。
 
 
その日、私はいつもの様に散策をしていた。ある飲食店で遅めの昼食をとり、ホッとひと撫でした時、それはいつもの様にやってきた。いや、出て行こうとしている。と表現する方が的確か。
日々経験を積み重ねた私は決して焦る事はない。経験とはこの様に活かすのだ。
私はグルリと店内を見渡し、男性を模した図形を探す。店内は広くないので目的物は程なくして目に止まった。
この店舗では、図形に青い色彩が施され、丁寧にmanと記載がされている。
色と文章を重ねて表現し注視させる事によって万が一を防ぐ。視覚情報を巧みに利用した配慮がなされていた。この様な点からもお客様主義が窺えるというものだ。
 
私は自身の体調を周囲の人間に悟られぬ様に配慮をし、食事を終えた席からゆっくりと立ち上がり図形が示す個室へと向かい、ドアを開けた。
先客はいない。女神を除いては。
そのまま大きく口が解放されたU字型の白い座面に腰を下ろし、安堵と女神に出会えた事への喜びを嚙み締める。至福の瞬間だ。
 
静寂が支配する個室で己との孤独な格闘を繰り広げている時、ふと正面を見るとある掲示がされている事に気がついた。
私は普段、思考やその他諸々をトイレットで捻る時は下を向く癖があるので、気がついたのは偶然か何かの思し召しなのだろう。
興味深くその掲示物を観察すると、そこにはこう書かれていた。
 
流す前にちょっと待って‼︎
フタを開けたまま水を流すと水流の勢いで空気中にばい菌が舞います。
空気中に舞い上がったばい菌は人の背の高さまで舞い上がり約90分間漂います。
便座のフタは閉まっていますか?
 
と。
 
ほぉ、なるほど。と膝を叩いた。よもや排水時にその様な現象が起きているとは考えもしなかった。
これも普段から女神と手を取り歩んできたからこそ出会えた奇跡、知識の贈り物だ。女神を大切に扱わない者には決して与えられる事は無かろう。
私は今、最新鋭の知識を手中に収めたのだ。
 
至高の贈り物を受け取った私は少しの笑みを浮かべながら、女神にお願いをすべく腰を上げた。ここでは個室内で犯した全ての行為が女神の祝福により水に流してもらえるのだ。
用が済んだらサヨウナラ。という訳では無いが、女神は大変な人気者だ。
いつまでも個人で独占する訳にもいくまい。
 
さぁ行こうか、と座面から立ち上がったその時 ゴッ っという聞き慣れた不穏な音に背後から襲われた。私は多様な経験則から瞬時に状況を把握する事は出来たが、それと結びつけるには至らなかった。
当然だ。私は今、最新鋭の知識を得たばかりなのである。
その知識を与えた女神サイドがその様な仕打ちをするハズがない。
 
しかし嫌な予感は的中した。
一自動水洗
ここの女神は心が寛大なのか、はたまた焦り症のドジッ子属性なのか、こちらからお願いをするまでもなくその御身に私の欠片を受け入れた。
当然、蓋を閉めている間などあるハズがない。パンツを履くにすら至っていない刹那の出来事なのだから。
 
私は「えぇー……!!」と情け無い声を漏らし、前面の掲示物と轟轟と水が流れるトイレットを振り返りながら交互に見る他は何も出来なかった。準備の出来ていない人間の限界など所詮こんなものだ。
当然先程得た知識によると、正に今絶好調にばい菌が舞い踊っている。
しかもそれは90分間空中に漂い続けるのだ。その間に次回利用者が来ない保証は無い。
なんと、最新鋭の知識により過去味わった事がない「フタを閉めなくて申し訳ない感」で心が満ちたのだ。
 
私は全てを察した。あぁ、天に踊らされていたのだ、と。
もし仮にここで得た知識を即実行していたのならば、日常の一コマに成り下がり私の知識に定着することは無かったであろう。
あえて、そうあえて知識を活かさせない事により、記憶に粘りつかせ啓蒙のきっかけを与える。その様に仕組まれていたのだ。
その巧みな策略は見事に当たる。こうして文書に起こしている時点で答えは明白だ。
残念ながら天の意思に逆らう術は持ち合わせていない。
 
私は自身の無力さにまた少し笑い、飴と鞭を巧みに使い分ける女神…いや、女王様に感謝を告げ、再び街の雑踏へと舞い戻った。
 
 臭い物にはフタをし、水に流すのが紳士の務めだ。