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踊る1401便

星間旅行は今日も続く

ズートピアを見た(ネタバレあり)③

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思いがけなかった前・後編2部制のつもりが、まさかの前・中・後編3部制へ。

ちょっと気軽に言った言葉がこんなに考察されたらたまらない。

だが、考察大好き人間はちょっとした一言の意味を考えるのが止まらないのだ。

サーセン。 

 

 

現実は自分の見方で変化する、曖昧なもの

「人生はミュージカル映画ではない」。これは警察官となったジュディに対して贈られた警察署長からの熱いメッセージだ。あ、マイナス方面のだ。劇中では、頑張ったからって何もかもが都合よく進むと思うなよ☆という意味合いで使われていた。しかし、私は敢えてこう言おう。「人生はミュージカル映画だし、コメディー映画だし、アクション要素も満載で、少しのサスペンス性も併せ持ったドラマ性が主体の恋愛映画だ」と。どうだ、このごちゃごちゃ感。詰め込み過ぎやしないか。だが、人生80年もあればこの程度の要素は兼ねてしまうだろう。そして、望むものは何もかもが思い通りだ。人生で何のドラマも起きないのは、何も行動を起こしていないからではないだろうか。

これは、現実は自分の見た目で変わり、何を現実とするかは自分次第。ということでもある。潜在意識では過去や現在や未来が無く、全てがリアルタイムで起きていることと捉えている。過去の苦い恋愛も、仕事の失敗も、喧嘩中の友達も、将来の希望も、全ての思考はリアルタイムで発生中の現実なのだ。そして、本来出来事そのものに良いも悪いも無い。車の事故は車の事故。それ自体が悪いものではない。もしかしたら保険が適用され、新車同様で帰ってくるかもしれない。事故に対する考えが変わり、一層安全運転を心がけるきっかけになったり、その経験を啓蒙し有名人になるかもしれない。物事の結果は捉え方次第で変わる。同じ出来事でもプラスで捉える人間とマイナスで捉える人間では積み重ねる物が違うし、いざという時にその人間の本質が出てくるのだろう。

「あの時は辛かったけど、今となっちゃぁ笑い話だよな」なんて良く聞く会話ではないだろうか。ほとんどの出来事が後々は笑い話になる。それであれば、起きた時から笑っていればいいのだ。「お、一見ピンチのチャンスがやってきたぞ。しめしめ、これでまた成功への階段を一段上がれるな」と。

また対峙した出来事の「本質的な意味」を考えてみるのも面白い。これは相手や状況の感情的な部分を探るのではなく、今の自分に必要な出来事だったからこそ自分に向けられたのであって、どの部分に向けて投げられた出来事だったのかを考えるのだ。引き寄せの法則に合わせて言えば、全ての出来事は自分が引き寄せたと考えられる。それ自体が自己成長させる素材そのものだからだ。相手が何を言ったとしても、捉えるのは自分次第。今の自分には辛い出来事も、望む将来へ繋がる手順だと考えれば心のモヤモヤが晴れてくる。

楽あれば苦あり。苦を苦と捉えず、それをいかに楽しむかが重要で、苦に屈した者が辛い目に合うのが今の世界だ。苦に屈するのが人間の性であるとすれば、諦めずに長く続ければ成功する確率は確実に上がるのは間違いない。

 

これは楽観主義になれといった話しではない。

物事を上辺だけで汲み取るべきでは無い、という提案だ。 

 

偶然に見える必然性

「夜の遠吠え」は前からあった。どころか自宅菜園しており、過去「食べたおばさんがキマって大暴れ」といった事件も起きていた。おいおい完全に危険ドラッグじゃねーか。虫よけとはいえ、いつまでもそんな危ないもんを栽培してんなよ。代替え無いの?という壮大なツッコミが全国の映画館から聞こえたかどうかは置いて、注視すべきは「存在の認知」である。

情報は、人間の頭に1秒間で4000億bitもの量が入ってくる。果てしない数字で良く分からない。まぁ、ファミコンが8bitなので、その500億個分と考えればいいだろう。あれ、全然分かんねーや。ともかく、実社会で生きていると毎秒この量の情報が頭に入ってきていることは間違いない。しかし、脳はそんな量を一遍に捌くのは大変なので、1秒の内に約半分をフィルターという名の鋭利な何かでザックリ削り取り、それでも多いからと最終的には2000bitまで減らしてくれている。そう、残されたのは100万分の1%の更に半分の量だ。更に更に、脳は面倒がりで疲れたくない。だから、いつも認識している物を優先する性質持ちだ。脳内に経路が形成されれば、そこを優先して通るようになる。おいおい、という事は殆どの物が目の前の現実から処理されて見えていないってことじゃないか。いつもの通学路がいつも同じ様に見えるのは、いつも同じ脳内経路で、いつもと同じ様に見せている脳の仕業なのだ。

しかし、脳内で新しい経路を繋ぐ方法も当然ある。それは「興味を持ち、意識をすること」だ。興味を持ち観察をすれば、脳内も今まで使用していなかった経路を使わざるを得ない。いつもの通学路で「屋根の色に集中」すれば、気が付かなかった事にも気が付くだろう。

ジュディに興味が無ければ、自宅で栽培されている異質にも目が向かない。おばさんが大暴れした出来事は認知されず終いである。そうすれば、自宅で栽培されていないのと同じになる。本人に認知がされなければ、存在し無いのと同義だからだ。しかし、今回は「夜の遠吠え」という単語が興味として意識に入っていた。自分の意識に入り、興味を持ち続けたからこそ脳が情報処理を行い、単語を聞いた際に関係が生まれた。ぼやっとしていたら関係を繋ぐことはできなかったであろう。ジュディが求め続け、情報を引き寄せた結果と言える。

 

これも偶然の様に感じられるが、必然の結果なのだ。

 

 

 

長い。長すぎる。

しかし、いよいよ終盤までやってきた。

次で本当にラストにしよう。

 

 

ブベベ